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気になる企業訪問 松山バレエ団

気になる企業訪問 松山バレエ団

「くるみ割り人形」を拝見させていただきました。あんなに大勢の人が舞台上にいらっしゃるのに一糸乱れぬ、一つの方向に向かって終演を迎える。あれだけの人たちをまとめる事を清水さんがされていらっしゃるのですよね。素晴らしかったです。

先人の諦めない強い心があったから、今の私たちがいます

— 松山バレエ団は清水さんのご両親がはじめられたバレエ団なのですよね?

清水:はい。父 清水正夫と母 松山樹子が創立したバレエ団です。我々が2代目です。

— 「先人の価値の上に新たな価値を築かなくてはならない」と言う言葉が印象的でした。先代とお二人に変わられてから何か変わりましたか?変わられている事と引き継がれている事がありましたら教えてください。

清水:クラシックバレエや芸術というもの自体が、特にクラシックバレエは西洋からきたということで私たちの先輩方は本当に苦労されていました。日本人にバレエは向かないと言われるような環境の中で先輩たちは頑張られました。本当に苦労に苦労を重ねながら、日本やアジアのバレエ界が我々を育ててくれたと思っております。そんな中、森下がヴァルナ国際バレエコンクールで金メダルを取ったことで初めて「日本人にもバレエが向いているんだ」と思われるようになり、それまでの環境がガラッと変わりました。バレエは人間としての本質を教えてくれるものです。その先輩方の精神を引き継いでいこうと思っております。生涯をかけてバレエを探求して続けていきたいと考えております。

松山バレエ団

— 先人(先輩)の方たちは本当に苦労されていたんですね。

森下:はい。先人の方々はバレエが「日本人には出来ない」「日本人には向いていない」と言われた環境の中で必死にそれと戦って、日本のバレエの土台を作ってくださいました。そのお蔭で今、私たちがやっていられる訳です。先人、先輩方がそこで諦めていたら今の日本のバレエ界はなかったと思います。

清水:これからの方たちには、人のマネをするのではなく、自分たちで「チャレンジャー」になって、自分たちで「創っていく」これが大切な事だと伝えたいです。

森下:最近はコンクールなどでも技術、テクニックを磨く事に力を入れている方たちが目につきます。しかし、芸術はそうではないと思います。芸術は人の心を揺さぶるものです。作品を作る全員が「何でこの作品をやるのか?」「何を伝えたいか」を全員で解いて心を一つにして踊るのがクラシックバレエだと伝えたいです。

コツコツ毎日続ける。自分自身を信じる。
そして日々感謝する。

— 松山バレエ団の経営や団員の皆さま、生徒さんたちの教育方針などをお聞かせください。

清水:私ども、松山バレエ団・松山バレエ学校は“真・善・美”「真は誠、善は行為、美はその結果」を根本理念、基本思想として活動し、たくさんの人々に自分自身を捧げるという思いを方針にさせていただいております。

— スクールには小さなお子さんたちもいらっしゃいますが、その子たちにも「自分を鍛える」と伝えてらっしゃるのですか?

森下:そうです。感謝の気持ちとか、すぐに「ありがとう」と言葉が出るような人間に、大人になって欲しいと思います。そして私たち自身も常に、今こうやっていられることに感謝したいです。これは常に自分自身を鍛えないとできないことです。

松山バレエ団

— 私たちの様に普段から鍛えていない人たちが鍛えようと思ったら、まず何からしたら良いでしょうか?

清水:そうですね。まずは筋力などご自身の身体を鍛える事でしょうか。これをやることによって良くなるんだと信じる事です。

森下:自分自身が信じて、少しずつやっていけば鍛えられます。出来ると信じることがとても大切です。私たちも毎日、チャレンジの連続です。常にフレッシュな気持ちで「どうなりたいか!」「こうしてみよう!」と考え行動することです。コツコツやっていくしか方法はないです。

清水:プロでも、プロじゃなくても、コツコツ毎日続ける。究めたり、鍛えるにはこれしか方法はありません。その事を皆さんに伝えていきたいですね。

— バレエを始めたきっかけは何でしたか?

森下:私は小さい頃、体が弱かったので近くの幼稚園で始まったバレエ教室に通い始めたのがきっかけです。

清水:森下は小さい頃、不器用だったので家で予習・復習をしていたらしいです。

森下:お教室で新しいステップをすると、いつも私だけが出来なかったんです。でも、自分が出来ないからダメって思うことはなかったですね。そして、自宅の畳の上で練習しているといつの間にか「出来た」ってなるんです。今考えると両親も「何で出来ないの?」とは一度も言いませんでしたね!「出来た」って言うと拍手して喜んでくれるんです。それも大きな励みになっていました。その頃から少しずつでもやっていれば出来る、という体験をしていました。子どもながらに自然にしていたんですね。

— 小さい時から「やれば出来る」と感じてらっしゃったんですね。

森下:はい。人に遅れていることなどは、私は気にしませんでした。やり続ければ出来ると小さいながら信じていました。私はそういう経験があるから、今の若い人たちにも諦めずに続けていくことを伝えています。

清水:人生においても、これが秘訣です。遅れていることは気にしない。やり続ければ必ず出来ると自分を信じる事。絶えず新鮮に感じることです。

先人から受け継いだことを次の世代に伝える。

— 「くるみ割り人形」を拝見して、観終わった後は私もバレエを踊ってみたいと思ってしまいました。最近は大人でバレエが習われる方が増えているとお聞きしました。

森下:今、日本は大人の方がバレエをしている世界有数の国になりました。80歳を過ぎても続けて通われている方もいらっしゃいます。最近では仕事帰りの男性も増えていて、みなさん発表会では本当に輝いていらっしゃいます。ぜひ、これを機会に挑戦されてみてください。

— お二人のプライベートについても伺ってよろしいですか?それぞれの魅力に思っている点と、ここは直して欲しいと思っている点はどこですか?

松山バレエ団

清水:生涯かけて究めようと突き進んでいる森下洋子は魅力満点です。生きている姿自体が魅力的で、彼女となら一緒に創れると感じました。直して欲しい点は・・・今は違いますが、昔はお酒に強かったので、それには付き合えないって思っていましたね。(笑)

森下:ずっと稽古場で一緒に居ることがあたりまえなので、普通の夫婦とは感覚が違うと思います。仕事中、清水は演出振付家なので、言われたことは全て実現しようと思っています。演出振付家はゼロから創り上げないといけないので、本当に大変だと思います。

— これからのお二人の抱負を教えてください。

清水:「一生涯稽古」。それが出来る身体や環境に日々、感謝する。と言うことは一生涯、感謝する。それ以外の余計な事はいりません。先人から受けついた事をありがたく受け継ぎ、次の世代に伝えてゆきたいと思っております。

プロフィール

公益財団法人 松山バレエ団 総代表

清水 哲太郎 さん

1948年2月東京都生まれ。

清水正夫、松山樹子によって創立された松山バレエ団に長男として誕生。

1966年、北京に留学し、1968年の松山バレエ団公演でデビュー。1974年、ヴァルナ国際バレエコンクールに森下洋子と出場。共に受賞したのを始め、数多くの賞を受賞している。現在は演出・振付・振付改訂および主演を務めながら、団長森下洋子と共に積極的な活動を続けている。

公益財団法人 松山バレエ団 理事長・団長

森下 洋子 さん

1948年12月広島県生まれ。

1974年第12回ヴァルナ国際バレエコンクールで日本人初の金賞受賞。世界のプリマバレリーナとして活躍。27歳の時に清水哲太郎と結婚。現在も松山バレエ団のプリマバレリーナとして国内外問わずバレエ団のほとんどの公演に主演している。

清水 哲太郎 さん 森下 洋子 さん

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